目を閉じて、みえるもの。
……目を閉じると、見えてきます。
凛と咲き乱れる紫の花々。ふくよかな香り。そして、たくさんの訪れる人々の笑顔。
人々を癒し、リフレッシュしてくれるラベンダーの紫の絨毯は、もう既に現実のものとして、目の前に広がる準備を整え始めているのです。

まだ、出来上がっていません。
まだ、始まったばかりです。
ここまでの道のりも、ここからの道のりも、決して平坦ではありません。
だけど、私が今見ている、美しくも楽しい光景を、みなさんにも感じてもらいたい。その気持ちは、変わりません。
どうして、私がこのラベンダーの園を作りたいと思ったのか。
少しだけ、昔話にお付き合いください。

ちょっと昔話 ~目覚めるまで~
私は、今から50有余年前、千葉県佐倉市先崎(まっさき)に、生を受けました。
その頃の先崎は、米どころとして、多くの家が農家であり、稲作が多く行われていました。
私の友人たちも、農家に育ち、やがてはその道に進むことを、土のにおいとともに、身体で感じていったのでしょう。
ところが、思春期を迎える頃の私は、この村から早く出ることばかりを考えていました。
テレビや雑誌などで報じられる、煌びやかな都会に憧れ、広い世界の情報・ニュースを見るにつけ、私は、かっこいいビジネスマンになるのだ、との夢を抱いていったのです。
夢はかなえるためにある。かなえるためならば、どんな苦労も厭わない。その信念は揺ぎ無いものでした。
高校・大学と、都会の学校を選び、大学を卒業した後も、そのまま都会にある外国為替専門の東京銀行へと就職しました。
それからというもの、関東と関西をまたにかけ、世界各国を仕事で駆け回る日々が続いたのです。
やがて、家族も増え、忙しいながらも充実した日々を送っていました。

ある日、何気なく、ふと、立ち止まってみました。
その瞬間、私の脳裏に広がり出たのは、先崎の空でした。
世界各国に出張で出かけるたび、広大なる美しい景色に、心奪われていました。やはり、先崎で少年時代を過ごした私の中には、「自然」というものが、息づいていたのでしょう。
広く、青い、どこまでも続いているような空。のんびり浮かぶ白い雲。
走り続けてきた私、故郷から逃げ出してきた私を追いかけて、先崎の空気は、ふっと、私をくるんでくれたのです。
子どもの頃、いっしょに遊んだ友人たちは、元気でやっているのだろうか? 今も地元に住み、農業を続けているのだろうか? どんな暮らしぶりなんだろう。楽しく過ごしているのかな?

私の思いは、地元である先崎で、何かできないものだろうか? という考えにすっかり変わっていました。
自分を産み、育ててくれた村に、少しでも貢献をしたい。少しでも活性化をさせて、文化的な村にしてあげたい。
今のまま、ビジネスマンとして駆け抜け続けていたら、故郷になんら足跡や痕跡を残すことができないではないか……。
そのとき、使命感が生まれました。強い強い使命感。私が何かをしなくては! でも、いったい何をしてあげることができるのだろう……。

種まきをはじめよう
まず私は、「人々の出入りを多くする」「自然環境を損なうことなく、最大限有効活用・共存共栄する」ことを考え、1992年に蕨産業株式会社を設立しました。
そしてゴルフ練習場「ユーカリゴルフプラザ」、霊園「合掌の郷」を設立したのです。
その頃の地元、先崎は、相変わらず稲作を中心に行う農村でした。しかし、時代の変化とともに、人々の食生活は変わり、米主体ではなく、副食主体となっており、米の消費量は激減、その上、米の豊作が続いている状況です。
さらに、国は、諸外国からの廉価な米の輸入を迫られており、このままでは、農家は先細ってしまう一方です。
どうしたらいいのだろう? と、一人で悩んでいても始まりません。私は、農業を続けている古い友人たちを集め、勉強会を始めました。
国の施策、諸外国の状況、地元の現状。知っていけば知っていくほど、このままでは、衰退し、やがては農業を続けられなくなるのではないか、との思いが強くなるばかりです。
そういった状況ですから、地元の農協も、ジリ貧に悩んでいました。
ある日、私は関係者より、農協の再建協力の要請を受けることになりました。
農協が無くなってしまっては大変なことになる。私は、私に出来ることは、と焦りつつも最大限の尽力をさせていただくことにしました。まず、地元農協の財務体質を改善し、その後近隣の三農協を合併させることにより、なんとか再建へと漕ぎつけることに成功しました。

ほっとしたのもつかの間です。
このままでは、明るい未来はやってきません。何か、もっと大きな根本から変えていくような発想をしなくては、いずれは農家も絶滅してしまうのではないでしょうか。
それは、嫌です。農家に仕事が増え、先崎に人が集まり、佐倉が活性化する。街全体が元気に、盛り上がっていくような、そんな何かを作っていかなくてはいけません。
そのためには、農業でありながら、今までとは違う、まったく新しい発想が必要だと痛感しました。

でも、それは、何だろう。本当に、見つかるのだろうか? いや、必ずや、あるはずだ。
この街に、人々の笑顔が溢れる、そんな「何か」が、必ずある……。私は、そう信じました。

膨らむアイディア
そんなある日、北海道の富良野という町に行く機会がありました。
富良野といえば、みなさんもご存知でしょう。テレビドラマ「北の国から」のロケーション現場として、広く知られる場所です。
そこに「ファーム富田」というラベンダー畑があります。
広大な敷地に広がるラベンダー。どこまでも続くように思える紫のカーペット。芳しい香りと、目に優しい花の色。これを見て、感じた瞬間、私に天啓のようなひらめきが降りてきました。
……ああ、これだ……。これを、作ろう!
農家の人たちといっしょに、佐倉にラベンダー畑を作ろう。
人々が集まり、癒されるフラワーガーデンを作ろう。
ファーム富田の富田社長に、すぐさまそのアイディアを伝えました。社長は大変気さくな方で、いろいろなことを教えてくださいました。加えて、「千葉で作るならば、関東の気候にあった、そして、貴方のラベンダーを見つけてください」との言葉もいただきました。
その言葉に勇気付けられた私の中で、アイディアは急速に膨らんでいきました。

自然・手作りをコンセプトとして、家族やカップル、または学校の遠足や、課外授業などあらゆるシーンで活用してもらいたい。子どもたちを中心とした絵画大会もいいですね。映画やCMの撮影などにも使ってもらえるでしょうか。
丸一日いても飽きず、癒され、楽しめ、リフレッシュできるような、オーガニックフラワーランドを目指していこう。ラベンダーだけではなく、景観植物と呼ばれる多彩なハーブや、紅花。色彩豊かなポピー。これらの花畑を散策し、五感で感じることにより、人々の心は安らぎ、健やかな未来さえも見えてくるようです。
農業体験やレンタル農園、ハーブ園、ハーブを使った料理のレストランなど、身体全体で喜びを感じられるような場所にしよう。近隣の農家のみなさんが作った野菜を販売することも、当然考えています。
サシェ作りや、ドライフラワー、フラワーアレンジメントの教室。紅花からの染色も体験できるでしょう。そうすれば、ファッションショーだって、夢ではありません。愛情たっぷりの、文化的な花も咲かせてあげたい。

次々に湧き上がってくるアイディアと、理想の姿。
だけど、とてもとても私一人で実現できることではありません。
だからこそ、この私の思いに共感してくれて、いっしょにやりたいという人たちを待っているのです。

理想郷をつくろう!
現在、約300坪の畑で三種類のラベンダーを試験栽培しており、どれもすくすくと順調に育っています。
まずは、是非、その姿を見に来てください。

偶然かもしれませんが、ラベンダーの花言葉は「あなたを待っています」です。
ラベンダーの香りには、不思議な作用があります。どこか懐かしく、昔を思い出させてくれるような、優しい気持ちになれる効果。

花を通じて人々と巡り会う、ということは、自然と人との原点ではないのかな、と思えて仕方がありません。
是非、さまざまな分野の方々に協力をして欲しいのです。
私にはこんなことができる。私は、こういったことがやってみたい。そういった人々に出会いたいと思います。まだ形になっていなくてもいいのです。だって、すべては始まったばかりですから。

いっしょに、作っていきましょう。いっしょに、育てていきましょう。
この自然をそのままに、もっともっと素敵に、もっともっと楽しい街に、もっともっと花いっぱいの街に生まれ変わらせていきましょう。
きっと、好きになってもらえると思うんです。この先崎のこと、佐倉のこと。
私は、大好きです。この自然でいっぱいの街が大好きです。
だからこそ、みんなにも好きになってもらいたいのです。

さあ。
ここが、スタート地点です。